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東京地方裁判所 昭和51年(特わ)1835号 決定

被告人 橋本登美三郎 外七名

主文

一  本件各証人尋問調書(関係副証を含む。)のうち、別表記載の部分を同表記載の対応被告人の関係で証拠として採用する。

二  その余の請求部分はこれを却下する。

理由

(目次)

はじめに

第一  米国裁判所に対する本件証人尋問の嘱託及びその手続の適法性について

一  本件証人尋問請求は刑訴法二二六条の要件を具備するか

二  右証人尋問の請求を受けた裁判官が米国の管轄司法機関へ尋問嘱託をすることの適法性について

三  嘱託尋問の実施と弁護人の反対尋問権

四  証人尋問の嘱託手続及び実施手続を違法とするその余の主張について

第二  不起訴の意思表示(いわゆる刑事免責)が本件尋問調書の証拠能力に及ぼす影響

一  刑事免責により証言を強制するに至つた手続経過

二  いわゆる刑事免責の付与をめぐる手続が本件証人尋問調書の証拠能力に及ぼす影響について

三  任意性に疑いがあり証拠能力がないとの主張について

第三  本件嘱託証人尋問調書が刑訴法三二一条一項一号に該るという主張について

第四  本件嘱託証人尋問調書は刑訴法三二一条一項三号に該るか

第五  結論とむすび

はじめに

一  本件嘱託証人尋問調書の証拠能力に関しては、検察官及び弁護人の双方から多岐にわたる主張、疑問が提起されている。重要であるのに先例のない論点を含むものが多いので、当裁判所としても一方で逐一慎重に検討をすすめるとともに、他方、その証拠申請を受けて以来これまで採否の決定をあえて留保し、その間、まず、同尋問調書以外の通常の証拠方法による立証を可能なかぎり先行させて行なうことを両当事者に求め、これを実施してきた。それは、主として、本件嘱託尋問調書の嘱託から入手に至る過程が、後述のとおり結局は適法の枠を外れていないとはいうものの、わが国刑事裁判においては類例をみなかつた特殊な手続によつて行なわれたものであることも否定できない事情にあり、そうであるだけに、そのようにして入手された同調書の一部を最終的には本件各被告事件の証拠の一部として採用し、取調べる結果となる場合においても、まず第一義的には、その余の国内捜査を基盤とした通常の立証活動をつくさせ、これによつて、それなりに本件の全体像について骨格的な心証を得るとともに、反面、国内捜査によつて立証しうる事項の限界の存否をも明確に認識したうえで、これを基盤として、嘱託尋問調書の内容とその信用性の限度とを適正・客観的に評価・検証できるように運用することが、少なくとも本件における全体的な証拠関係を評価するうえで、運用上はより適当であろうとの判断によるものである。

いま、これを本件についてみるに、若狭、渡辺、澤、藤原、植木及び青木ら全日本空輸株式会社関係の各被告人については検察官の基本的な立証も終つてすでに弁護人側立証の段階にあり、橋本及び佐藤ら両被告人についてはなお検察官の立証中ではあるが、本件嘱託証人尋問調書によつて、直接立証しようとする事項に関しては国内証拠による立証も終り、今後の立証についてもその証拠方法については概ね明らかにされているので、以上、いずれの被告人の関係においても、右にいわゆる国内捜査によつて立証しうる限界についての見通しがついたといえるので、ここに本件請求に対する当裁判所の判断を示すこととしたものである。

二  当裁判所は、本件嘱託尋問調書のうち主文第一項(別表)掲記の部分については刑訴法三二一条一項三号に規定する書面に該当すると判断し、これを証拠として採用するとともに、その余の部分についてはこれを却下することとした。

以下その理由を分説するが、本件請求については幾多の問題点があり、そのため、検察官及び弁護人それぞれの立場から、極めて詳細、多岐にわたる意見が述べられているので、本決定における説明も、基本的にはこれらの主張に即し、これに対する判断を示すことをもつてその限度とするが、中には、当事者において明確には主張しない論点であつても、当裁判所における検討の結果を明らかにしておくのが相当と思われるものもあるのでその点をも説示し、なお、その順序は、検察官あるいは弁護人らの主張の順序にかかわらず、当裁判所における説明の便宜上、大別すれば、まずアメリカ合衆国の司法機関に対する本件証人尋問の嘱託及びその手続の適法性、ついで本件において最大の争点となつたいわゆる刑事免責問題など、刑事訴訟法(以下、刑訴法という。)三二一条一項各号該当の有無の個別的検討に入る前にその前提として検討しておかなければならない証拠の許容性に影響する一般的問題について述べ、そのあとで刑訴法三二一条一項一号不該当の理由、続いて同条同項三号の該当理由等の個別的な問題について述べることとする。

三  なお、以下の説明本文中にある

(一)  「全日空」とは「全日本空輸株式会社」

「米国」又は「合衆国」とは「アメリカ合衆国」

「コーチヤン」とは「アーチボルド・カール・コーチヤン」

「クラツター」とは「ジヨン・ウイリアム・クラツター」

「チヤントリー」とは「ケネス・N・チヤントリー」

「ステイーブンス」とは「アルバート・ステイーブンス・ジユニア」

「フアーガソン」とは「ウオーレン・J・フアーガソン」

「クラーク」とは「ロバート・G・クラーク」

「レイノルズ」とは「キヤロライン・M・レイノルズ」

の略記であり

(二)  「年月日」の記載は、すべて、その行為の行なわれた地の日付である。

第一米国裁判所に対する本件証人尋問の嘱託及びその手続の適法性について

弁護人らは、まずわが国の裁判所又は裁判官が外国の裁判所に対して証人尋問の嘱託をすること自体、根拠規定がなく違法であるとし、また本件証人尋問が刑訴法二二六条に基づく請求であるという点及び実施手続にも種々の違法があるので、その結果作成された本件証人尋問調書には証拠能力がないと主張している。そこで、以下手続の順を追つて検討する。

一  本件証人尋問請求は刑訴法二二六条の要件を具備するか

(一)  弁護人らは、刑訴法二二六条によつて起訴前に証人尋問の請求をすることができるのは、同条が同法二二三条一項による取調を補充するものとして規定されている点からみて、「被疑者以外の者」に対する場合に限られ、共犯者らはこれに含まれない、そして、本件コーチヤン、クラツターらは、検察官提出の嘱託に関する疎明資料によつても、いずれも実質的には、当時の被疑者若狭らの贈賄及び同人ら全日空幹部に対する外国為替及び外国貿易管理法(以下、外為法という。)違反の被疑事実に関する共犯ないし必要的共犯者と考えられる立場にあつたと認められるので、同法二二六条によつて尋問が許される証人には含まれないという。

しかし、刑訴法二二三条一項にいう被疑者とは当該被疑事実についての被疑者をいい、たとえその者と共犯又は必要的共犯の関係にある者であつても、当該被疑者以外の他の者を含まないと解すべきであり(最高裁判所・昭和三六年二月二三日判決・刑集一五巻二号三九六頁参照)、本件についていえば、尋問嘱託の原因となつた被疑事実中で被疑者とされているのは若狭その他の者らであるから、コーチヤン、クラツターらは「被疑者以外の者」にあたるものということができ、したがつて、このような者に対し刑訴法二二六条の証人尋問を請求することは、刑訴法上許されるものと考えられる。コーチヤン、クラツターらが同人ら固有の被疑事実との関係では被疑者本人と扱われるべき立場が別にあるとしても、そのことによつて本件のような若狭らを被疑者とする別の被疑事実の関係では「被疑者以外の者」であるということについて差異をきたすものではない。

(二)  同条による証人尋問の要件を具備するためには、右のほか、証人となるべき者が「犯罪の捜査に欠くことのできない知識を有すると明らかに認められる」ことがあわせて必要であるが、この点は、本件被疑事実の内容及びその中でコーチヤン、クラツターらの占めている地位、役割等の関係、すなわち同人らは、全日空の被疑者若狭らが同社でのL―一〇一一の購入、運航に関し、政府高官らに贈賄する情を知りながら、これに多額の金員を支払つたことその他の外為法違反への関与の事実が疎明されることに照らし、その要件を備えていることは明らかである。

(三)  また同条の証人尋問請求をするためには、これに先立つて刑訴法二二三条一項による取調につき出頭又は供述を拒否された経過が必要であるが、前記疎明資料によると、右両名とも、本件証人尋問請求前の昭和五一年四月一二日前後ころ、日本国政府から米国司法省連邦捜査官及びロツキード社主任弁護人らを介し、米国内において東京地方検察庁から派遣される検察官の事情聴取に応ずることを求められたのを拒否し、さらに同年五月上旬ころ、渡米中であつた東京地方検察庁検察官から同様の要請を受けたのをも重ねて拒否したことが認められるのであり、これによれば刑訴法二二三条一項の出頭要求が証人となるべき者に拒まれたことが明らかであり、この点の要件についても欠けるところはない。

したがつて、検察官が本件証人尋問の請求を刑訴法二二六条に基づいてしたことについては何ら違法の点は存しない。

二  右証人尋問の請求を受けた裁判官が米国の管轄司法機関へ尋問嘱託をすることの適法性について

(一)  弁護人ら主張のとおり、刑訴法上は裁判所又は裁判官が外国の司法機関に対し証人尋問の嘱託をすることを認める明文の規定は存しない。また外国裁判所ノ嘱託ニ因ル共助法が一条で「裁判所ハ外国裁判所ノ嘱託ニ因リ民事及刑事ノ訴訟事件ニ関スル書類ノ送達及証拠調ニ付法律上ノ輔助ヲ為ス」とし、その条件として、一条の二で「嘱託裁判所所属国カ同一又ハ類似ノ事項ニ付日本ノ裁判所ノ嘱託ニ因リ法律上ノ輔助ヲ為シ得ヘキ旨ノ保証ヲ為シタルトキ」として相互保証条項を設けていることから直ちにわが刑訴法上嘱託権限が生じると解釈することにも疑問がある。同共助法は、直接には外国裁判所から嘱託を受けたわが国の裁判所が、その嘱託にかかる輔助行為をなすにあたつての条件として当該嘱託国についての相互保証条項の有無を確認したうえで実施すべきことの手続を定めるにとどまり、逆に外国裁判所に嘱託しうべき要件には何ら触れているものではないと理解されるし、本来、訴訟法上嘱託権限を有するか否か、その条件如何等は、事柄の性質からみても訴訟法自体に根拠規定が置かれているか否かによつて決せられるのが筋であつて、共助法は直接の根拠規定を置いているとまでは読みとれないというべきであろう。ただ、同共助法は、主として民事事件についての共助の必要性を念頭において立法化されたものであるとはいいながら、前記のとおり規定中にはすでに刑事事件についての共助をも掲げている点があることからすると、少なくとも刑事事件についての共助がありうることを前提としていることだけは否定できないのであり、そうだとすると、わが国刑訴法が民訴法二六四条(旧民訴法二八一条)のような趣旨の規定を置いていないとしても、そのことはそのような嘱託を禁ずるまでの趣旨があつてのことではなく、外国司法機関への証人尋問嘱託の可否は規定上全く空白のまま残されているものであつて、刑訴法の目的達成に適合する手段であれば、その内容如何によつては解釈上認める余地を否定するものではないと理解するのが適当である。

(二)  ところで、国内で発生し、捜査され、起訴される通常の事件であつても、そのなかには必要な証拠が国外に種々の形で存在し、適法かつ迅速な入手が、わが国における刑事事件の処理上強く望まれるという事例も決して少なくない。それは、刑法二条ないし四条の規定する国外犯についてだけでなく、外国との往来が日常的になつた現在では、国内犯についても日常的に生じており、具体的に見聞するところである。このような場合、刑事訴訟についても、右のごとき国際化の実態にできるだけ対応できるような方向での解釈、運用をはかることがとくに必要と考えられるのであり、具体的には国外に存在する各種の証拠を適法に入手しうる訴訟手続的な方法を認めることが、刑訴法が目的の一つとして掲げる実体的真実の発見という目的にも適うことであると考えられる。そして解釈上認めようとする訴訟手続的な方法が、現行の刑訴法によつて許容されている限度以上の強制手段にわたつて関係者の権利を侵害するということがなく、かつ、刑事手続全体の趣旨にとくに反しないと認められるときは、そのような適当かつ必要と認められる限度内で、たとえば国内において許されるのと同様の証拠入手の手段を国外に及ぼすこととなる嘱託を認めることも、当該相手国の同意と協力を得られることを前提とするかぎり、国内法の解釈としては、条理上許される場合がありうるものと考えられる。

(三)  いまこれを本件で問題となつている外国への証人尋問嘱託についてみるのに、裁判所が国内の裁判所に証人尋問の嘱託をすることができることは規定上明らかであり、また刑訴法二二六条、同二二七条による証人尋問の請求を受けた裁判官が、その証人尋問を更に国内の他の裁判所の裁判官に嘱託することも可能と考えられるのであるから(刑訴法二二八条一項により裁判所と同一の権限を有することとなる結果、同法一六三条一項により可能と考えられる。)、国内の他の裁判所に嘱託して証人を尋問するのと同一の要件のもとに外国の司法機関に嘱託して尋問することを認めても、当該相手国が受託してくれるかぎり、そのことによつてあらたな権利侵害を伴う等、格別の支障、弊害は生じないと考えられる。もつとも、裁判官による第一回公判前の証人尋問の場合、任意捜査による証拠の収集に不十分な点があつて、そのため裁判官が強制的権限を行使して供述の収集を行ない、捜査及び公判に必要な証拠の適正な保全をはかろうとするものであるから、このような捜査に対する裁判官の介入については、介入の許される条件と限界について一層慎重に考えなければならないが、すでに現行刑訴法上二二六条等によつて明文上そのような介入が認められていることを前提とする場合、同じ尋問嘱託の嘱託先が国内の他の裁判所であるか国外であるかということは、裁判権の及ぶ内と外という形式上の差を別とすれば、実質的にみて強制手段行使の許否を考えるうえでそれほどの大きな隔差はない。もとより、このように国外の司法機関に嘱託する場合には、嘱託手続自体はわが国内における場合と同一の手続でなされるとしても、受託国における証人尋問の実施手続は当該受託国固有の類似手続によるほかないのであるから、その結果作成・交付される尋問調書のわが訴訟法上の法的性質については様々でありうるし、これが公判廷に証拠として持ち出される場合の証拠法上の取扱いは各調書それぞれの作成手続に応じ、刑訴法上の精神に従つて決する必要があろう。しかし、嘱託の結果作成される右の調書の中には、その後公判廷に証拠として持ち出される場合のほか、結局持ち出されないで捜査上役立てられるだけに終る場合もありうると考えられるのであつて、嘱託の時点においてはいずれとなるか判明せず、その双方の場合が含まれているのであるから、証人尋問の嘱託行為それ自体を許されない違法行為と考えねばならない理由は見当らないように考えられる。わが刑訴法三二一条以下の規定をみてみても、右規定は外国において作成された書面をも対象としてその取扱いを定めている趣旨を読みとることができる。たとえば、同法三二三条一号には、伝聞証拠禁止に対する例外として、公務員がその職務上証明することのできる事実についての書面を掲げるにあたり、とくに括弧内で「外国の公務員を含む。」旨を明示しているのであるが、そのような規定となつたのは、単に同条についてのみならず、伝聞禁止の原則及びその例外とされる書面の双方を考える際、国内文書のみならず外国で作成される文書のあることをも含めて考えたうえで、それらの中の公務員作成の一定の文書について、外国公務員作成のものであつても右三二三条により証拠能力をもつ場合のあることを認め、その趣旨を明示したものと読みとれるのであり、このことと歩調を合わせて考えれば、同法三二一条一項三号書面等、その他の書面についても外国での作成文書を含めて考え、その証拠能力の有無は裁判所が判断し、決定しうる余地を認めているものと考えることもあながち無理ではないように思われるのである。

(四)  以上みてきたとおり、裁判所又は裁判官がその必要を認めて外国の司法機関に対して証人尋問の嘱託をすることは、それ自体新たな権利侵害を伴うものでもなく、また、わが国の訴訟手続全体の趣旨に反するともいえないのであるから、これを一般的に禁止してしまうのは適当でなく、裁判所(官)の裁量によつてこれをすることは国内法の解釈として許されるものと考えられ(本件公判において全日空関係被告人の弁護人らから別に弁護側証人の嘱託尋問ないしこれに代わる供述入手の申請がなされているのも、外国への嘱託行為自体は許されるとの考えを基礎としているものと思われる。)、裁判所(官)の裁量を可能ならしめる刑訴法上の法的根拠は、いわゆる裁判所(官)の訴訟指揮権にあると考える。けだし、右訴訟指揮権は、裁判所(官)が当該手続の主宰者として有する包括的権限であつて、それが実体的真実発見に役立ち、なおかつ公正適正に目的を達しうることをねらいとし、個々の訴訟の具体的状況に応じ、法律行為又は事実行為の双方を通じ適切な裁量によつてこれを行使し、手続の合目的的な進行をはかろうとする権限であるから、訴訟手続に関して個々の明文規定がある場合でも、具体的な訴訟手続においては、ただ規定どおり形式的にそれを行なつただけでは十分といえない場合がある反面、明文規定を欠いていても、右の趣旨に従い、訴訟の基本構造に反しあるいは当事者の権利を侵害しない範囲内では、適切な裁量を駆使して法の空白を埋めるよう努力すべきことが要請されている趣旨だと理解されるからである。

外国裁判所に対する本件尋問嘱託は、右のような意味合いにおいて、まさに社会の変化に即応し、裁判所(官)の裁量によつて臨機に適切な運用が工夫されて然るべき事項と考えられるのであつて、刑訴法二二六条の証人尋問請求に対して本件担当裁判官が、後に(第二の二の(三))詳論するような本件証人尋問の緊急性と必要性にかんがみ、その裁量によつて米国の所轄司法機関に対し尋問嘱託をしたことはまさに上述の理由で適法であつたものと考えられる。

三  嘱託尋問の実施と弁護人の反対尋問権

弁護人らは、本件証人らのように外国に居住し、将来公判準備又は公判期日に証人として出頭することができないことがあらかじめ予想されるほか、加えて右証人らの外国での尋問調書が証拠として公判で使用されると考えられるときは、その証人尋問に被疑者の弁護人の立会を認めて直接に反対尋問の機会を与えるか、少なくとも尋問事項を知る機会を与え、必要な反対尋問事項書を提出する機会を与えて間接に反対尋問権行使の機会を与えるべきであり(憲法三七条二項)、これを無視してなされた尋問手続による本件証人尋問調書は違法であり証拠能力を認め難いと主張する。

しかし、刑訴法二二六条等によつて裁判官がする証人尋問ないしその嘱託尋問は、公判裁判所によつてなされる証人尋問ないしその嘱託尋問と異なり、直接には適切な証拠の保全を図り捜査に一定の資料を与えることを目的とするものであるから、これが国内において実施されるときのように、弁護人を立ち合わせようとすれば立ち合わせられる場合においても、その立会あるいは尋問事項書の提出を認めるか否かは、証人尋問の請求を受けた裁判官が事件の性質や証人の立場、弁護人の立会を認めることが捜査の支障になるかどうか、またその支障の程度などを総合考慮して健全な裁量により決定すべき事項とされているのである(同法二二八条二項)。したがつて、本件において、米国の司法機関に対し証人尋問の嘱託をするにあたり、東京地方裁判所の担当裁判官は検察官の意見にかんがみ、「連邦検事、日本国検事及び証人の弁護人のみが立ち会い、他の者の立会を禁止し」て尋問を行なわれたいとの要請をし、その結果米国でなされた手続においては本件被疑者らの弁護人の立会を禁止し、また証人尋問事項書を知る機会も与えないで尋問手続が行なわれたことは資料上認められるが、本件における被疑者らに対する被疑事実の内容ないし性質、証人らに対する尋問事項に照らせば、それが外部に洩れるだけでも捜査上重大な支障となりかねないことが容易に推測される状況にあつたのであり、これらの点を総合して考慮すると、本件尋問嘱託をした担当裁判官が刑訴法二二八条二項により弁護人らに立会その他反対尋問の機会を全く与えなかつたことも、健全な裁量の範囲内にあつたものとして容認することができる(なお、刑訴法二二八条二項の規定が憲法三七条二項に違反しないことにつき最高裁判所大法廷昭和二七年六月一八日判決・刑集六巻六号八〇〇頁)。もとより、右の手続において証人となるべき者が国内に居住する通常の場合には、公判段階において、弁護人が必要と考えるときは、その者を証人として直接尋問する機会が残されているのが通常であり、審理手続全体を通じてみると反対尋問の機会は存するとみられるのに対し、本件のようにその者が外国に居住しかつ尋問嘱託当時すでにわが国に来て証言することを拒絶する態度を明らかにしているときは、右嘱託尋問の機会を外しては将来反対尋問的な尋問も行なうことが難しいことはあらかじめ予測されるのであるから、そのような証人の尋問にあたつては、反対尋問権を手厚く保護し、かりに弁護人の立会が捜査の支障になつて認め難いというときには尋問事項書の提出を許可するなどの弾力的配慮がなされてもよいという主張にも理由がないではない。しかし、そのような弾力的配慮が個々の事案においてどの程度可能かは、やはり結局は事案の性質や証人の立場、尋問事項をあらかじめ弁護人に知らしめることによつて当該事件の捜査に実際上もたらされる支障如何といつた事情にかかつているといえるのであり、そのような弾力的な観点から本件につき考えてみても、米国における本件嘱託尋問について弁護人の立会を一切禁止した本件担当裁判官の裁量は、やはりやむをえなかつたものとして是認することができ、弁護人らの指摘するような弁護人不立会等の事実は、右嘱託の結果作成された尋問調書の証明力を判断する際に考慮すれば足りるのであり、そのことをもつて直ちに右尋問調書の証拠能力を否定する事由とすることはできない。

四  証人尋問の嘱託手続及び実施手続を違法とするその余の主張について

弁護人らは、東京地方裁判所裁判官のした本件尋問嘱託の手続及び米国における尋問実施の手続について、上述した点以外にも違法があつたと主張し、種々その理由を述べている。すなわち、本件嘱託証人尋問手続は、関係各資料によれば、米国カリフオルニア州中央地区連邦地方裁判所で受理されたうえ、合衆国法典二八編一七八二条(a)項に従い、同地方裁判所長の命令でチヤントリー退任判事が執行官に、またクラーク司法省特別検事とレイノルズ連邦検事が副執行官にそれぞれ指名され、その面前に証人となるべきコーチヤン、クラツターの両名の出頭を求め、その代理人たる弁護士らが同席するという方式のもとで副執行官が尋問嘱託書添付の尋問事項書に則つて尋問をし、証人側からの異議その他の申立に対しては同手続を主宰する執行官が米国の関係法規に従つて裁定をするという要領で行なわれたものであるが、弁護人らは、米国における右の手続には米国の国内法に合致していない違法の点があると主張するのである。しかし、右の尋問手続はいうまでもなく米国の司法機関のもとで制度上適法と信じられている正当な手続に従つて実施されているのであり、したがつて、その司法機関による判断については、これを、その手続に関係する者が手続内において定められた法的手段を用いて争うことは格別、そうではなく、その手続をはなれ、わが国の司法機関において、それが米国の国内法に照らして適法であつたか否かを判断することには親しまないものがあると考えられる。むしろ当裁判所にとつてこの際重要なことは、米国においてなされた本件尋問に関する手続が、おそらく法制度の異なる外国裁判所への嘱託という事柄の性質上、種々の点でわが国の刑訴法の場合と手続的に異なる点があることは当然の前提として考慮に入れながら、米国において実際上履行された手続のなかに――それが米国の国内法上正当な手続であるか否かにかかわりなく――わが国の憲法や刑訴法の採用する基本的な原理に反していて受け入れ難いものを含んでいるか否か、さらにいえば受け入れ難いという事情のなかでもとくに本件証人尋問調書の証拠能力に影響し、これを否定すべき原因となるような、いわば重大な事由を含んでいるかどうかの点である。そのような観点を念頭に置いて以下検討する。

(一)  本件嘱託尋問手続が米国で開始された冒頭段階において、その手続内の問題として、わが国の刑訴法二二六条の嘱託裁判官が、米国における尋問手続の根拠となつている前記合衆国法典二八編一七八二条にいう嘱託「司法機関」に該当するか否かが争われたのであるが、その際、連邦地方裁判所のステイーブンス判事は「日本において係属中の手続は司法手続の一環をなすものであつて、いくつかの点において米国連邦裁判所の起訴陪審の手続に擬することができるものであり、さらに本件嘱託書は日本の裁判官から発付されたものであるから、こうした手続は司法手続の一部を構成する。」とのべて証人側の異議を棄却し(一九七六年六月一〇日付異議棄却決定)、その判断は執行停止終結申立に対する判断という形式においてではあるが、連邦第九巡回高等裁判所の判断においても実質的には支持され、その判断のうえにたつて、本件嘱託尋問が実施されることになつたことが認められる。この点について弁護人らは、右一七八二条にいう「司法機関」とは米国における起訴陪審又は大陸法系における予審判事のように独立した起訴不起訴の決定権を有するものに限られており、刑訴法二二六条の裁判官のように単に検察官の捜査に共助するにすぎないものは含まないのに、米国司法機関が右のような判断をしたのは誤りであり、その点において前記一七八二条に違反していると主張する。

しかし、前記ステイーブンス判事の異議棄却決定の内容を、これと内容的に同じ問題を扱つたその後の第九巡回高等裁判所の決定などを対照して検討してみると、これらの決定が、前記一七八二条の「司法機関」に該当するものの範囲を決定する前提として、わが国の刑訴法二二六条の裁判官の法的地位について、弁護人ら指摘のような誤解をしたと認めるべき十分な根拠は何ら見出し難いと考えられる。のみならず、右の点は、米国の裁判所が、米国国内法である右条項の解釈として、外国からなされる嘱託申立のうちどの範囲のものを受理すべきものと解釈するかという問題にかかわるだけのことであつて、そのような米国国内法の解釈問題については、とくに明白な誤解でもない限り、責任を有する米国司法機関の最終判断を尊重すべき筋合いであるうえ、かりに右司法機関により示された判断が、わが国の弁護人らの目からみて広い解釈にすぎると感じられるときであつても、そのような広い範囲で嘱託尋問の申立に応ずる解釈をとつたということが、その結果作成された調書につきわが国の憲法ないし刑訴法の採用する基本原理に反して違法性を帯びさせるとか、受け入れることを難しくする事由になるとかいう理由になるものでないことは明白であるから、そうだとするとこの点に関する前記弁護人らの主張は右の意味において理由がない。

(二)  東京地方裁判所の担当裁判官は本件証人尋問の嘱託をした際、嘱託書中に「尋問内容が伝聞内容にわたる場合にも本件尋問は捜査のためであるから許容されたい。」旨付記して米国の所轄司法機関に対しその旨の要請をしたのであるが、その結果、これに基づいて本件証人尋問がなされた点につき、弁護人らは、そのような尋問の方法及び内容は共に違法であると主張する。

しかし、刑訴法二二六条の証人尋問の第一の目的は、捜査官からの取調に対し出頭ないし供述を拒む者から証言を得て捜査(ないし将来の公判を含む。)上必要な証拠の保全をしようとする点にあるのであるから、その段階においては伝聞事項に関する証言を求めることも当然許されると考えられる。そのような伝聞事項を含む供述が調書化され、それがその後の手続の進行に応じ公判に証拠として提出されるに至つた場合には、その時点においてそれを立証事項との関連において吟味し、真に伝聞に該当するか否かを公判裁判所としての立場から判断し、伝聞証拠にあたると判断されるものがあれば、被告人又は弁護人の意見により、あるいはその部分を証拠として取調べない旨の決定をすれば足りると考える。

したがつて、右のような伝聞事項を含めての尋問を求めたからといつて、そのことをめぐつて前記のような違法があるということはできない。

以上のようにみてくると、本件証人尋問を米国司法機関に嘱託した手続に関し、その結果作成された証人尋問調書の証拠能力に影響するような違法手続があつたとは認め難い。

第二不起訴の意思表示(いわゆる刑事免責)が本件尋問調書の証拠能力に及ぼす影響

本件証人尋問の嘱託から証人尋問調書の入手に至る過程において、わが国の検察官が米国の裁判所において証人となるべき立場にある者に対して、当該本人の関係で不起訴の意思表示をし、いわゆる刑事免責を与えて供述を求め、これに応じて供述することを余儀なくさせたことの適法性について、弁護人らは種々の疑問を指摘し、右はわが刑訴法上違法な手続というほかなく、そのような違法な手続によつて収集された尋問調書は、刑訴法三二一条一項各号に該当するか否かを論じる前に、そもそも証拠となりうる一般的な許容性を欠いていると主張している。わが国裁判史上、本件各被告事件等、当庁各刑事部に相次いで係属し、現に審理中の一連のいわゆるロツキード事件において初めて逢着した問題であるだけに参照されるべき先例もなく、かつその内容において極めて重要な問題を含んでおり、それゆえ、本件嘱託証人尋問調書の証拠能力の判断のうえで最も大きな論争の種となつている点であるので、以下この点に関し、まず、免責を与えたといわれる手続の経過を見たうえで、検討を加えることとする。

一  刑事免責により証言を強制するに至つた手続経過

わが国において不起訴宣明(いわゆる刑事免責)がなされ、これによつて米国における嘱託証人尋問がなされ、あるいは、同尋問調書の交付がなされるに至つた手続の経過については、検察官提出の資料によれば、次のとおりであつたと認められる。

1  東京地方検察庁検察官は、東京地方裁判所裁判官に対し、昭和五一年五月二二日、コーチヤン及びクラツター外一名に対する証人尋問と、その米国司法機関への嘱託を請求したが、右請求にあたつては、証人となるべき右の者らのわが国捜査機関に対するそれまでの態度からみて、嘱託尋問における供述拒否の予想される事態にそなえるため、あらかじめ同月二〇日、検事総長名で「右各証人の証言内容及びこれに基づき将来入手する資料中に仮に日本国の法規に抵触するものがあるとしても、証言した事項については、右三名を刑訴法二四八条により、起訴を猶予するよう東京地方検察庁検事正に指示している。この意思決定は当職の後継者を拘束する」旨の宣明書(以下、これを第一次宣明ともいう。)、及び、これに基づき東京地方検察庁検事正名で、同月二二日、「証言した事項については右証人三名を刑訴法二四八条によつて起訴を猶予する。この意思決定は、当職の後継者を拘束する」旨の宣明書の二つが発せられ、その旨尋問嘱託の申立に際して前記裁判官に申し出た。

2  右請求を受けた東京地方裁判所裁判官は、同日、証人の尋問を米国管轄司法機関に嘱託した際、嘱託書中の付記事項の一として、「右各証人の証言内容及びこれに基づき将来入手する資料中に、仮に、日本国の法規に抵触するものがあるとしても、日本国刑事訴訟法第二四八条によつて、起訴を猶予する意思がある旨を証人に告げた上尋問されたいこと」との付記をし、右嘱託書は、その後外交経路を経て、本件尋問を管轄する米国カリフオルニア州中央地区連邦地方裁判所に送付・伝達された。

3  こうして証人尋問の嘱託を受けた同地方裁判所所長アルバート・L・ステイーブンス判事は、右尋問手続の主宰を執行官チヤントリーに命じ、これを命じられた右チヤントリーは、右尋問のための手続を進め、同年六月二五日には証人コーチヤンを同裁判所に出頭させて証言を命じたが、同人は日本国において刑事訴追を受けるおそれがあることを理由に証言を拒否した。そこで、前記検事総長及び東京地方検察庁検事正の各宣明書(謄本)が執行官を通じてコーチヤンに交付され、また、そのころ同様に証言拒否の意向を執行官に表明していた証人クラツター外一名に対しても同様の措置がとられた。

4  そして、同年七月六日同裁判所判事ウオーレン・J・フアーガソンは、証人らの証言録取を直ちに開始すべきことを命じると同時に、右証言拒否の点に関し、「本件証人がその証言において明らかにしたあらゆる情報を理由として、また、本件嘱託書に基づき証言した結果として入手されるあらゆる情報を理由として、日本国領土内において起訴されることがない旨を明確にした日本国最高裁判所のオーダー又はルールを日本国政府が当裁判所に提出するまで、本件嘱託書に基づく証言を伝達してはならない」との命令を発した。

5  右命令によつて米国でのコーチヤンに対する尋問手続は進行しはじめたが、他方右尋問調書の引渡しが日本国最高裁判所の「オーダー又はルール」にかかることとなつたため、わが国ではこれに対応する措置として同月二一日検事総長が前記宣明書の内容を再確認したうえ、あらためて前記証人らの証言に関し、「その証言及びその証言の結果として入手されるあらゆる情報を理由として公訴を提起しないことを確約する。」との宣明書(以下、これを第二次宣明ともいう。)を発するとともにこれを最高裁判所に提出し、最高裁判所は、これに基づき同月二四日、「検事総長の右確約が将来にわたりわが国のいかなる検察官によつても遵守され、本件各証人らがその証言及びその結果として入手されるあらゆる情報を理由として公訴を提起されることはないことを宣明する。」との宣明書を発し、その内容は同日のうちに副執行官キヤロライン・M・レイノルズを介して前記ステイーブンス判事に伝達され、同判事は右宣明書によつて前記フアーガソン判事の命令に定める条件が充足されたものと認め、同日、証言の録取及びコーチヤンについてすでに同月六日ないし九日に行なわれていた四日分の証言調書の交付を命じ、その後も引き続き尋問が行なわれ、かくして同証人に対する米国内での証人尋問は、日本国における刑事免責が適法に与えられたとの前提のもとに進められ、供述を録取した調書が作成交付された。

6  一方クラツターは、同年七月九日執行官チヤントリーから、前記裁判所で証言を命ぜられたのに対し、日本国および米国の双方において刑事訴追を受けるおそれがあることを理由に証言を拒否していたが、同月二四日付の前記ステイーブンス判事の命令が確定したことによつてまず日本国における刑事訴追のおそれを理由とする証言拒否をその後は維持できないこととなり、ついで同年九月一三日米国における刑事免責付与及び証言命令が発せられたことによつて供述拒否の根拠をすべて失つたため供述を余儀なくされ、その後は同証人に対する証人尋問も、日本国及び米国における刑事免責が適法に与えられたとの前提のもとに進められ、かつ、その供述を録取した調書が作成、交付された。

7  なお、右の証人尋問によつて各証人らが証言を求められた際の被疑事実(ただし、本件関係被告人らに関する部分)の要旨は「(1) 被疑者若狭及びその他の全日空幹部職員ら数名は、共謀のうえ、昭和四九年の六月ないし七月ころ、証人らから二、〇〇〇万円余及び三、〇〇〇万円余という高額の現金を受領した、(2) 被疑者(氏名不詳)数名(政府の閣僚、高官、国会議員)は、それぞれ職務権限を有する事項に関し、前記全日空の若狭(及びロツキード社のエア・バスL―一〇一一や対潜しよう戒機P3Cの販売代理権を有する丸紅株式会社の檜山、大久保、伊藤)らから、右L―一〇一一の購入・運航(及び政府のP3Cの選定、購入)などに関する請託を受け、その謝礼の趣旨で昭和四七年一〇月ころから同四九年中ころまでの間数回にわたり、多額の金員を収受した、(3) 被疑者若狭らは右(2)記載のとおり賄賂の供与をした」との事実を中核とする贈収賄罪及び外為法違反罪に関する事実であり、その関係で、コーチヤン・クラツターらの証言によつて、同人らにつき将来明らかになるであろう事実、換言すれば、刑事免責の対象として想定された中心的な被疑事実は、これらの者が右贈収賄に関しその事情を知りながら数億円の資金提供をしたことを中心とする共犯事実及びその頃の全日空に対する高額の裏資金支払いを中心とする外為法違反の事実と理解されていた。

いわゆる刑事免責に関する具体的事実経過の大筋は、ほぼ以上のとおりであつたと認められる。

二  いわゆる刑事免責の付与をめぐる手続が本件証人尋問調書の証拠能力に及ぼす影響について

弁護人らは、右の刑事免責の付与をめぐつて違法があつたと主張するが、その理由は、大別すると次のようなものと理解される。

すなわち、本件不起訴の宣明は、米国における嘱託証人尋問手続において証人となつたコーチヤン、クラツターの両名が日本における刑事訴追のおそれを理由として自己負罪拒否の特権を主張して供述を拒否するという事態に直面した検察官が、証人の右特権を消滅させて供述を法律上強制しようとの意図でなされたものであるが、

〈1〉  このように証人から自己負罪拒否の特権を行使された場合、実体的真実主義を重視するわが国の現行訴訟制度上は、それら犯人の一部と思われる者に刑事免責を与えてそれらの者の供述拒否権を失わせ、それらの者に供述を強いること、あるいはこうして得られた供述を他の者に対する証拠として利用するという「取引」をすることを認めていない。右のようなことを適法に行なうためには所要の立法措置を必要とする法制度となつているのに本件嘱託証人尋問調書は、米国における右のような刑事免責制度を利用し、証人らの自己負罪拒否の特権が消滅したとする制度のもとで供述をさせて作成、入手されたものであり、わが国の現行法制の下においてはそのまま受入れることの許されないものであつて憲法三一条に違反している。

〈2〉  検察官は米国流の刑事免責に相当する法制度がわが国の刑訴法上は欠けているのに、それを刑訴法二四八条の不起訴処分及びこれに付随する前記一連の宣明等で代替しようとしたが、証人に対し、その内容が実質上自己負罪にかかる事項についての供述を法律上強制するためには、憲法三八条一項との関連上、供述した事項に関し、一定の刑事免責の効果が法定されていることが必要であるところ、刑訴法二四八条の不起訴処分にはそのような法的効果のないことは明らかであり、そうすると本件不起訴宣明等によつて証人らの自己負罪拒否の特権を消滅させることはできない筋合いであつたのに、これによつて消滅させることができるかの如くに宣明して、証人尋問手続における供述を強制したことは、わが国法上、憲法三八条一項の趣旨に反して違法である。

〈3〉  のみならず、刑訴法二四八条の不起訴処分は、検察官が犯罪の捜査を遂げ、犯罪事実及び情状の双方を証拠に基づいて明らかにしたのち、捜査結果を総合判断し、捜査を遂げた事件につき不起訴とすることができる場合のあることを認めた規定であるが、右規定はまだ被疑事件について被疑者の取調べを含む捜査を全く行つておらずそのため犯罪事実及び情状が具体的に明らかにされていない段階において、そのように不十分な資料の中に浮かび上つている浮動的な事実や情状を前提として、その件につき、将来に向つて包括的に起訴を猶予するというような処分をすることまでは認めておらず、そのような処分は同条により検察官に与えられた権限の範囲を越える濫用であつて違法である。

おおむね右のように要約できると思われる。

(一) 刑事免責に関する各宣明の法的性質ないし実体

前に述べたとおり、わが国の検察当局は、米国での嘱託証人尋問手続において、証人となるべきコーチヤン、クラツターらが自己負罪拒否の特権を行使し、その理由としてわが国における刑事訴追のおそれをあげるのに対抗してそのような証言拒否の理由を失わせ供述を強制したい意図のもとに、東京地方検察庁検事正名、検事総長名の宣明をくりかえし行ない、最後には最高裁判所による宣明まで行なわれたが、これら一連の各宣明のなかで、証人らに対するわが国内における刑事訴追のおそれの存否に関連して法律上根拠を有し、直接の影響を及ぼすと考えられるのはいうまでもなく本件捜査を担当していた東京地方検察庁検事正が、その事件処理についての最高責任者として刑訴法二四八条に基づいて行なつた不起訴宣明である。この宣明が中核をなしており、他の各宣明はいわばその趣旨を補強する性質のものであつて、少なくともわが国内法上はこれと別個独立の法律的根拠ないし効果を有する性質のものではない。すなわち、右検事正の不起訴宣明書中に、証人らに対し証言した事項については刑訴法二四八条により起訴を猶予する旨記載されているのは、同人らに対し、すでに不起訴処分をしたとの宣明ではないが、同証人らが将来尋問に応じて証言した場合、その証言事項のなかに被疑事実となるべきものがあらわれることがあつても、その事項については、――その時点で形式的に不起訴処分をする趣旨であるか否かは別として――証言内容の如何によつてあらためて訴追についての裁量判断をすることなく、宣明の時点において確定的に、刑訴法二四八条に基づく訴訟効果を有する処分をする旨の決定をし、その決定をしたところを宣明するというものと理解されるのである。

尤も、同条による不起訴処分は、通常は、弁護人指摘の通り検察官が被疑事件についての一応の捜査を遂げ被疑事実の内容を証拠上明らかにしたのちにおいて、同条に規定されている犯人の性格、年齢及び環境、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情状などを総合考慮してなされるべきものであるから、本件において、コーチヤン、クラツターらの嫌疑事実について終局処分をするに熟していない事前の段階において右処分がなされることは異例であるとはいえるが、しかし右の段階で同条の不起訴処分をするに至つたのは後記(三)において別に述べるような止むを得ない特別の事情によるものであり、これにより処分の時期がくり上つたとしても、本件検事正の宣明が、通常捜査終結後に刑訴法二四八条によりなされる処分と同質の処分を志向するものである点については何ら変りはないといえる。

ところで、前記検事正名による宣明書の末尾には、「この意思決定は当職の後継者を拘束する。」旨の、法律的には字義通りの拘束的効果を認め得ないことが明らかであるのにあえて付記したと思われる文言の記載がある。右宣明中、この点、刑訴法二四八条による通常の不起訴処分とはやや趣を異にする面があるようであるが、しかし宣明の趣旨を全体として考察する限り、右の付記文言により、右宣明書中で明らかにされているのが刑訴法二四八条による不起訴処分であるとの法律的性質について何らの変更を加えるものでないことは明らかである。右のような付記文言のあることを手懸りとして、右宣明の趣旨を公訴権放棄であると解釈したり、あるいはその他宣明後のこれに反する起訴を直ちに不適法とするような法律上の効力を生じると解釈したりすることはできないものと考える(刑訴法二四八条の一か条の中に、通常の不起訴処分のほかこれと法的性質や効果の全く異なつた公訴権放棄等のその他の処分も含まれていると理解することは、区別の基準、それぞれの場合の方式の相違などが全く規定されていない現行規定のもとでは困難である。)。

そのようなわけで、検事正の宣明書による処分は、通常の不起訴処分としてされたものと考えるほかないと考えられ、そして検事総長の前記事前の宣明(第一次宣明)は検事正に事前にその旨の指示をしたことを示すものであり、これにより、右検事正の宣明も、それが検事正独自の裁量によるものではなく、わが国検察の最高責任者と十分な協議をしたうえでの強い裏付けを有する不動の処分であることを示し、また、同総長の第二次宣明は第一次宣明を再確認し、それが将来すべての検察官によつて遵守されるべきことを最高裁判所に対して確約することによつて、検事正の処分が不動であることを強力に、しかし事実上補強するものであるにすぎないし、最高裁判所の宣明も、――それを、米国の裁判所が如何なる性質のものと受けとめたかは別論として――国内法的には右のような事態のもとにある限り、わが国の司法慣行上、各証人が証言した事項に関して将来公訴を提起されることはあり得ないと常態的判断を認知して明らかにしたにすぎないものと考えるが相当である。

(二) 本件不起訴宣明等は、証人となるべきコーチヤン、クラツターらの有する自己負罪拒否の特権を適法に消滅させるに足りるものであつたか(前記主張の要約〈2〉について)

(1) 米国における嘱託証人尋問手続において、証人として証言すべき者が自己負罪のおそれを理由として証言拒否の主張をした場合、それにも拘わらずその者に証言を命ずるためには、同証人らの主張する自己負罪のおそれを法的に除き、少なくとも実質的にとり除いてそのおそれがないのと同じ状態を保障することが前提とならなければならない。そのことが米国における適法な尋問手続の進行上必要であつただけでなく、そのような保障のもとに供述を命じて作成された尋問調書でなければ、わが国の憲法、訴訟法の趣旨にも反し、その結果、右調書をわが国内で訴訟上の証拠として使用したい場合にも許容することができないと考えられる。

(2) ところで、わが国検察当局は、証人らの証言拒否権の行使に対し、その主張の根拠をとり除くため、前記のとおり、刑訴法上とりうる東京地方検察庁検事正の不起訴処分のほか、検事総長の二度にわたる宣明、しかも、そのうちの一度は最高裁判所に対する確約等を内容とする宣明を発するなど、法律上及び事実上可能な限りの手段をとり行なつた。そうしたなかで、中核的処分とみられるのが、わが国の法律によれば検事正の不起訴宣明であることについては前述のとおりであるが、この点に関する米国裁判所の理解はこれと同じではなかつた。すなわち、右不起訴宣明のうち、検事総長による五月二〇日付の第一次宣明及び検事正による宣明の両者の趣旨は、東京地方裁判所裁判官から米国司法機関に対して尋問嘱託がなされた手続の当初から嘱託書中に付記して伝えられ、さらに、証人らの具体的な証言拒否の態度が明らかになつた際にも、これらの者に右各宣明書の謄本が交付され、その趣旨は米国裁判所に対して十分明らかにされたにも拘らず、右嘱託証人尋問手続のうえでは、ただそれだけでは証人らの主張する刑事訴追のおそれを消滅させるに足りるものとは受け止められず、そうであればこそ、それに重ねてわが国最高裁判所の「オーダー又はルール」が求められた関係にあるのである。そして、その後の検事総長の最高裁判所あて宣明と、これを承けてなされた最高裁判所の宣明によつてはじめて、米国では、わが国における刑事訴追のおそれがとり除かれたものとして取り扱われたのであり、このような米国司法機関の理解とわが国法制下の理解との間にはかなりのずれがあつたことは否定できない。

しかし、本件嘱託尋問調書のわが国内法による証拠能力の存否を判断するにつき重要なことは、わが国における刑事訴追のおそれを理由として証言拒否をする証人に対して証言を命ずる前提として、それが米国における法令上どうであつたかではなくして、わが国内法上、証人らの主張する刑事訴追のおそれを実質的に取り除きそのおそれのない状態を保障したと考えることのできる状態にしたといえるかどうかの点である。そのような状態を保障するためにわが国内で各種宣明等がなされ、それらが累積して全体として刑事訴追のおそれを取り除いたとみられる場合に、嘱託尋問の実施を担当している米国の司法機関が、それらの累積した措置のうちのどれに刑事訴追のおそれをとり除くうえでの中心的意義を感じとるかということは、尋問手続を実施する米国の国内法上は重要であろうが、すでに作成、交付された本件尋問調書のわが国内法上の証拠能力を決するについては、格別重要なこととは思われない。わが国内法上、刑事訴追のおそれを取り除くのに十分と考えられる措置がとられていないときは、いかに外国裁判所において、同国の基準によればわが国における刑事訴追のおそれがないとの判断のもとに証言を強制して作成された尋問調書であつても、これをわが国で証拠として使用するについては、なお、国内法上自己負罪拒否特権侵害の有無が問題として残るのであり、逆に、わが国内法上、刑事訴追のおそれをとり除くのに十分と考えられる措置がとられているときには、そのこと自体が尋問調書の国内法上の証拠能力を判断するうえでは重要なのである。

(3) そのような考えを前提として、以下本件不起訴宣明等の措置につき検討する。

前記のとおり各宣明等のなかで中核的と考えられる東京地方検察庁検事正の不起訴宣明も、刑訴法二四八条による処分である限り、当該事件に対する確定力はなく、したがつて、極端な場合には、その後捜査を再開し、公訴を提起することも可能なのであつて、法律上、その処分後の起訴を一切不適法ならしめ、あるいは一定の条件などで制限する法律上の効力を有するものではない。そのことは宣明書中に、「この意思決定は当職の後継者を拘束する。」旨付記した場合においても基本的には同じである筈である。

しかし、右のような不起訴宣明がなされたのは、コーチヤン、クラツターらが当時すでに米国に帰国してしまつており、昭和五一年四月及び五月ころの二回にわたつて、渡米中の東京地方検察庁検察官から同国内での便宜な場所への出頭、及び事情聴取を求められたのをいずれも拒否し、その一貫した強固な態度からみて、同人らが近い将来、わが国の裁判権行使可能の領域内に任意入ることは全く期待できない、したがつて同人らに対してわが国検察官が捜査権を有効に行使しうる見込みが全く存しないという特殊な状況のもとにおいてのことであつた。もとより、これらの者が、外国に居住しているとか、当分わが国の領域内に入ることを期待できないということだけで、同人らに対するわが国内での刑事訴追のおそれが法律上直ちに消滅するものではない。形式的にはその通りである。しかし、条約によつて同人らの身柄引渡しを受けうる見込みもなく(米国との犯罪人引渡条約二条)、したがつて同人らが捜査、処罰の対象となることを覚悟のうえで自発的にわが国内に入るということでもない限り、同人らに対してわが国の裁判権ないし捜査権を及ぼすことのできる見込みの存しなかつたことは明らかである。このような状態のもとにおいては、同人らにとつては、もともと、わが国における刑事訴追のおそれというのも現実的、実質的な内容を有しておらず、その立場に立つてみる限り、半ば消失しかかつているともいうことができ、不訴追の保障の内容如何によつては、ないに等しいと考えてもそれほど実態とかけはなれたことにはならない素地があつたともいえよう。

そのような素地のうえに立つて検事総長の第一次宣明及び検事正の前記宣明がなされ、これらは東京地方裁判所裁判官を経由して尋問嘱託先の米国司法機関に正式に伝達され、さらに前記フアーガソン命令をうけて再度検事総長の宣明が最高裁判所宛になされて宣明内容の確約がなされるに至るなど、わが国内において、不起訴宣明の趣旨が対外的に、かつ公式に何度も確約されたこと、さらには最高裁判所の宣明書を外交経路を経て公式に伝達された米国司法機関において、そのことを全く疑う余地のない前提としたうえで本件嘱託尋問手続を進めたという事態の進展などを総合して考えてみると、わが国検察官が、これら一連の国の内外における公式の宣明に反してまで、証人らの証言事項に関して、公訴提起等の刑事上の制裁措置に出ることは、国際上の信義則に照らし、国内的にも、誠実にその権限を行使すべき検察官(刑訴規則一条二項参照)としての信頼、ひいては司法の権威を保持するためにも、自ら宣明を発した検事正・検事総長のもとにおいてはもとより、その後継者のもとにおいても、実際上全くあり得ないと通常考えてよい状態に立ち至つたものと理解されるのである。

もとより、右の状態も、これを形成するに至つた個々の事実について穿さくしていけば、たとえば、法律的に拘束力のない刑訴法二四八条の不起訴処分につき、根拠不明のまま「後継者を拘束する。」とくりかえし強調しているなど、実質以上に拘束的効果が生じていると受けとられるように事実上の運用をしたことの累積以上のものではないし、したがつて、事実上の拘束力しかないものをいくら累積させても法律上の拘束力に転化しうるものではないのであるから、刑事訴追のおそれを消失させる法的保障となりうるものではないという考えもあり得よう。しかし、他方、このように度々の不起訴宣明が対外的かつ公式にくりかえされ、これが正式に裁判所を通じて相手方に伝えられた事態の進展は、それはそれとして直視して考えなければならないことであり、これを前記のように「累積した全体」として考察する際、それはもはや個々的な措置の効力を越え、法的保障に準ずる効果を有するに至つたものと解するのが相当である。

以上のように、コーチヤン、クラツターに対するわが国内での刑事訴追のおそれは、少なくとも現実的、ないし実質的には存しなくなつたと評価することができ、本件の場合、それは法的保障に準じて考えるのが事態の進展を直視した直截的な判断というべきである。

(4) ところで、自己負罪拒否の特権は、刑事訴追のおそれが現実的に存在する場合に、その限りで認められる性質の権利であり、すでに、有罪、無罪の裁判が確定したとか、時効完成あるいは恩赦等の事由を生じ刑罰に科せられるおそれがなくなつた場合にはこれを行使して供述を拒否することはできない。

そして、前記両名については上述した理由により、同人らに対しわが国での刑事訴追がその意思に反して及ぼされることは現実的、実質的には全く考えられない事実状態ないし準法律状態にあり、その安定した立場は、法律上の理由により刑罰を科せられることのない立場と実際上隔差がなく、これに準じて評価して差支えないものと考えられるのであるから、そうだとすると、外国に居住して来日の意思がなく、その他裁判権を行使できる見込みの全くない外国人に対する上述のような公式、特別の経過を経た不起訴宣明は、同人らの自己負罪のおそれによる供述拒否の権利を消滅させるに足りるものと考えるのが相当である。したがつて、そのことを前提として、証人に供述を命じ作成された本件嘱託尋問調書の作成手続には、憲法三八条一項の趣旨に反する点は存しないと、一応は考えられる。しかし、本件においてそのように結論するためには、なお次の点((三))を検討しなければならない。

(三) 捜査終結前の本件不起訴処分とその適法性(前記主張の要約〈3〉について)

(1) 米国における本件嘱託証人尋問手続において、証人に自己負罪のおそれが存しなくなつたものとして証言を命じたことが、同証人らの自己負罪拒否の特権を侵害していないといいうるためには、同人らに対する刑事訴追のおそれがなくなつたことのほかそのような訴追のおそれの消滅という状態が適法な行為によつてもたらされたことがまず必要であると考えられる。

弁護人らが、各意見書中において、コーチヤン、クラツターらに対する捜査の終結前において、同人らに対する本件不起訴宣明がなされたことを違法と主張している趣旨のなかには、違法な不起訴処分という、一種の違法手続によつて入手された証人尋問調書という主張とならんで、違法な不起訴処分を中核とする各宣明によつては証人らの自己負罪拒否の特権が適法に消滅すると考えられない。したがつてこの観点からの右特権侵害の主張を含んでいるものかと理解される。

(2) この点については、先に(一)において若干触れたところではあるが、ここで、東京地方検察庁検事正の宣明書による不起訴処分の適法性につき検討するのに、同検事正の本件不起訴宣明は、弁護人主張のとおり証人らに対する捜査という観点からすれば、その終結前において、いわば刑事免責による証言取得という別目的のための手段として、証言内容にあらわれると予測される事実について刑訴法二四八条による起訴猶予の意思決定をしたものであり、同条の処分が、刑訴法上通常は捜査の終結をまつてから行なわれるべきことを本則とする規定の趣旨からみて普通でない点のあることについては事実その通りであるということができる。しかし、飜つて考えてみると、米国居住の両証人らに対する同条の処分を捜査終結まで持ちこし、その間に国内在住の関係者の取調べ等可能な手続を進めて捜査を続行してみても、最終的に米国居住の同証人らに対して公訴提起等の措置をとることは事実上全く見込みのないこと明白な情況にあつたと認められるのであるから、いずれにしても最終的には不起訴にするほかないことが動かし難いものならば、その処分の時期を同人らに対する捜査終結前にくりあげ、それ自体はやや異例であつても、早い段階でこれらの者に免責を与え、その代りに同人らから当該事件全体の捜査を進めるうえで極めて重要な点に関係する詳細な供述を得て、これを共犯者等他の事件関係者らに対する被疑事件の捜査に役立てようとすることは、事件全体についての捜査を出来るだけ進め、実体的真実の発見と、これに最も合致した内容の処分をすることにより、本件によつてわが国社会に生じさせられた法秩序の混乱をできるだけ回復しようとする正常な検察機能の観点からみて十分合理性をもつていると認めることができるのであり、これを許容しても諮意的処分等のあらたな弊害をもたらすおそれはないと考えられる。とくに他の共犯者らに対する被疑事件のなかには、不起訴宣明をした昭和五一年五月当時時効完成等を目前にして捜査資料の入手に急を要する事情の顕著であつたものもあつたこと、米国における嘱託証人尋問を早急に進行させ尋問調書を入手して全体の捜査に役立てるためには、早期に証人らに対する前記不起訴宣明をし、米国裁判所における所定の尋問手続において証人らに証言を命じてもらう以外に有効な方策がなかつたことなどを考えると、尚更である。

尤も、捜査終結前の時期に不起訴の意思表示をするという場合にも、それが刑訴法二四八条に基づくものである限り、少なくとも不起訴宣明の時点において処分の対象となる被疑事実が特定していることは必要であるというべきである。しかし、その特定は終結処分をするに必要な程度の中核的・骨格的な事実を中心とし、事実の同一性の外延を確認できる程度に全体的な事実の輪郭を特定することができれば足り、終局処分の内容に変動をもたらさないような細部にわたる事実関係についてまでおしなべて明らかにされているまでの必要性は存しない。そのような観点からみると、証人となつた両名については、尋問事項書その他の詳細な記載からみて、宣明当時までに明らかとなつていた捜査対象事実全体の内容、規模、周辺事実への拡大見込み等のなかで右両名が占めているとみられる地位、具体的な関与行為の内容と程度ないし限度、直接有責と疑われる行為の性質等は、もとより確定的でなかつたにしても、捜査機関に全体としては誤りなく把握されており、少なくとも捜査終結前に終局処分を決することが可能な状態にあつたと認められる。

そして、前記のような利害得失を総合考慮すれば、捜査終結前の時期においてあらかじめ両名に対する不起訴の宣明をしたことにもやむを得ないものとして納得できる理由があつたものと評価され、右宣明を刑訴法二四八条違反であるとか、そのことのゆえにこれに基づいて入手された本件尋問調書の証拠能力を失わせる事由になるとか考えることは適当ではない。

したがつて、先((二))に検討したところの本件嘱託尋問調書の作成手続が憲法三八条一項の趣旨に反するともいえない。

(四) 刑事免責により証言を強制できるとする手続やその手続によつて作成された尋問調書は、そのような手続をもたないわが国の現行刑事訴訟制度の理念に照らし、そのまま受け容れることができるか(前記主張の要約〈1〉について)

前掲(二)及び(三)に述べたところにより、不起訴宣明及びこれに伴なう一連の宣明等の手続は、本件嘱託証人尋問手続において、コーチヤンらが主張する我国内での刑事訴追のおそれを実質的に消滅させるに足りるものであつたと考えられることによつて、同人らに対し、当該事項についての証言を命じても同人らの自己負罪拒否の特権を侵害するものでないということができることとなつたとしても、そのことと、右のようにして作成された証人尋問調書のわが国内訴訟法上の証拠としての許容性、さかのぼつて、自己負罪拒否の特権を侵害しないで供述を取得しようとする右のような手続的便法が、わが国の訴訟法上許されるか否か等の点とは全く別個の事柄であると考えられる。すなわち、わが国の現行刑訴法上は、証人尋問の手続において、検察官は証人から自己負罪のおそれを理由としてある事項につき正当に供述を拒まれた場合には、それ以上供述を強制する有効な手段を有していない法制とされているのであり、米国における刑事免責手続のように、尋問事項の内容や、これをめぐる具体的情勢の如何によつて、とくに検察官が個別的に、しかも裁量により、証人に免責を与え、同人の主張している供述拒否権を消滅させたりさせなかつたりすることができるというような選択の余地をわが国では認めていない。しかるに、本件証人尋問はたまたま刑事免責制度を有する米国において行なわれ、かつ、同国の国内法の基準に照らし免責ありとの判断を得るのに必要な各種宣明などによるわが国内法上の措置を前述の通り適法に行なうことができた結果として、検察官はわが国内法上は実現することのできない自己負罪事項についての証言強制を命じてもらい、その尋問調書を入手することができる結果となつたのであるが、かかる刑事免責制度をわが国の制度として認めることは、検察官において、本件証人らの場合のように、常に共犯者中の一部の者に免責を与えてその者から必要な供述を得、これを他の共犯者に対する証拠として使用するという、いわば刑事責任をめぐる一種の「取引」を安易に許容する結果につながるおそれがあり、そのようなことは現行刑訴法の基本理念に反し、潔癖なわが国の国民性からも受け容れがたいものではないかとか、それが本件の場合のように、外国に対して嘱託した結果であつても、刑事免責制度を利用できただけ、検察官に対してわが国刑訴法の定めるところより以上の有利な手段を与えたことになり、訴訟における当事者の武器対等の精神に反しないか等、訴訟理念上根本的な問題をはらむことはたしかであり、それゆえに、わが国の訴訟法上は規定を欠く刑事免責制度によつて得られた本件尋問調書の証拠能力を、わが国訴訟法のもとでどのように受け止めるかは極めて重要な問題である。そこで、この点について検討するが、これを一般的、根本的に解明することは本決定の趣旨ではないので、以下、本件嘱託証人尋問ないしその調書に即して述べることとする。

(1) まず、本件においては、その証人らは、すでにみたとおり、外国に居住する外国人であり、これに対する尋問は米国に対する嘱託によつて行なわれたことを前提として無視することはできないものであるところ、およそ、外国司法機関との間で刑事訴訟に関する司法共助を認める場合には、各国の司法制度の相異に基因して、例えばわが国に有しない法的手続が受託国の法制度として存するなどの理由で、わが国と異つた訴訟手続がとられることはしばしば生じるものと予想され、そのような場合にも基本的にはその結果を大なり小なり一定範囲で受け入れる余地を認めるのでなければ共助は成り立たない。そして犯罪の国際化に対応し、わが国刑訴法が基本理念の一つとしている実体的真実主義の要請をこれに即応させて運用すべきものと考えるときは、外国司法機関による証拠調の結果をわが刑訴法上受け容れるか否かを判断するにあたり、法制度の異るものは一切受け容れないという態度ではなく、やはり、その手続が共助手続によつてなされたという特殊性を正当に考慮した上で、たとえばわが国の訴訟法とは異つた手続によつて行なわれた証拠調の結果等であつても、その手続がわが国の憲法ないし訴訟法秩序の基本的理念や手続構造に反する重大な不許容事由を有するものでない限り、これを可能な範囲において受け容れる余地を認めることが必要かつ適当であり、そのことをわが国の訴訟法は否定しているものではないと考える。そのように考える場合、わが国とは異つた法制度のもとで行なわれた当該具体的な手続がわが国の憲法ないし訴訟法全体の趣旨に照らして禁じられている違法なものであるとみられるか否か、あるいは単に対応する手続規定を欠いているにすぎないとみられるか、また違法とみられる場合にも、それが重大でわが訴訟法のもとで許容できない性質のものであるかどうかをあらかじめ一般的、抽象的に定めることは、もとより困難であり、それぞれの場合における具体的手続内容に応じて個別的に判断するほかないが、たとえば、わが国憲法三八条二項が厳に戒めているような強制、拷問又は脅迫、その他、これに準じる基本的人権の侵害を伴うような手段によつて右特権を事実上剥奪したという場合はもちろん、供述拒否権を有する者に対して供述させるために、欺罔ないし利益誘導その他の虚偽誘発の危険が高く、あるいは、社会的に不公正と考えられるような手段を用い、これによつて供述拒否権を放棄ないし消滅させたというような場合には、わが訴訟法上これを許容することはできないし、その結果得られた証拠についても証拠能力を認めることはできない。

(2) それでは次に、右のような明らかに許容できない手段を用いることなく、いわば公正な方法で刑事免責を与え、自己負罪による供述拒否権行使の根拠を失わせて法律上供述を強制することそれ自体は、わが国法上許容できるか。たしかに、刑事免責を許すとすると、先に問題点として掲げたとおり、共犯者中、一部の者にだけ刑事免責を与え、そのことによつてその者から犯罪事実中の重要な部分に関する実質的な供述を得、これを免責を与える意思のない他の者に対する刑事責任追及の証拠に利用するというような発想は、一種の「取引」ともみられ、そこにはまたいわれなき差別があるように受けとられ易いところから、刑事責任についてのわが国の伝統的な国民感情にそぐわない面を色濃く有していることは事実である。とくに、免責を与えようとする相手方の選別に合理性がなく、あるいは免責を与えてでも供述を得るやむを得ない必要性や、さらには、免責を与えて尋問する場合の尋問手続に相当でないと思われる事由の存するときは、刑事司法における公正感を損ね、まさに刑事責任についての「取引」の印象を生じ、あるいは虚偽を誘発する危険を高める可能性を生じさせるものとして、わが刑訴法上許容できないものと考える。

しかし、そのような不公正感が全く存しないと認められる場合、たとえば、免責を与える者の選定についても、止むを得ない事情があり、免責を与えてでも供述を求めねばならない合理的必要性が強く、又、その尋問手続も適正で、とくに信用するに足りるというような事情が備わつている場合においても、なお、免責による供述強制の手続や、その結果としての尋問調書の一切を許容しないというのがわが刑訴法全体としての趣旨であるとまで考える必要はなく、一方で司法共助の必要性を肯定する以上、外国司法機関における手続の外形的な違いは別として、右のような場合には、それがわが国刑訴法のもとでの不公正な手続の排除、虚偽誘発の可能性ある手続の否定などという実質的な理念に反するものではないから、その限度においては、右のような手続や証拠についても、これを許容しうるものと考える。

そこで、このような観点から、本件嘱託証人尋問手続の場合についてみるのに、

(イ) 関係者らの中で免責を与えられることになつたコーチヤン、クラツターらは、すでにみたとおり、証人尋問嘱託当時、米国に居住する米国人であつて、わが国の捜査権、裁判権が及ばず、それらの者に対する被疑事実について捜査を進めてみてもその目的を達することができない関係にあつたことが明らかであり、この現実を前提とする限り、それらの者に免責を与えて被疑事実の内容に関する重要な供述を得、これをわが国内を舞台として行なわれたとされる被疑事実全体の解明に役立てることは、わが国の社会的、大局的な観点からすれば、右被疑事実全体としての社会的重大性にかんがみ、むしろ刑事司法ないし訴訟法の趣旨にも合致すると考えられる一面をもつていて、免責対象者の選定をめぐり、不公正感等をもたせる点は存しないこと、

(ロ) 尋問嘱託当時想定されていた被疑事実等のなかには、時効期間等の切迫しているものがあり、また内容的にも重大な違反を含んでいるうえ、自己負罪による供述拒否の態度を明らかにしていた右両名らから早急に供述を得るためには、これらの者に免責を与え迅速に尋問に応じさせる合理的な必要性がとくに強かつたと認められること、

(ハ) 米国司法機関のもとで実際に行なわれた尋問手続は前に述べたとおりのもので(一部分は第四においても述べる。)、とくに偽証の制裁、証人らの弁護士の立会と補助、訴訟に似た尋問方式など、供述を求める手続は公正さの十分保たれた内容のものであつたということができる。加えて証人ら関係者は、刑事責任についての免責制度の趣旨や運用が社会的に適法なものとして承認され、これをめぐる慣行のでき上つているとみられる米国居住の米国人であつて、本件尋問手続中、与えられた免責によつてとくに他の場合の免責と違つて利益誘導的な影響を受け易いとか、虚偽の供述を迎合的に行ない易いとかの心配は存しない状況にあつたと認められること、

(ニ) 言うまでもないことながら、証人らは尋問者側の意向に沿つた内容の供述をすることを求められたのではなく、証人らの記憶に忠実な内容と限度での供述を求められたにすぎないのであり、供述内容はすべて証人らの選択に委ねられていたものであること、

等々の各事実を認めることができるのである。

本件嘱託証人尋問をめぐるこのような諸事情を総合考慮すると、コーチヤン、クラツターらに対する米国司法機関における尋問手続において、これらの証人に免責を与え、供述拒否権行使の根拠を失わせて証言を強制した右手続に、わが刑訴法の立場からみて許容できないような虚偽誘発の危険性や、刑事手続をめぐる一部の者との「取引」に似た不公正感ないし合理的理由のない不公平感を懐かせる点はなく、その結果作成された尋問調書に関して許容できない程の違法事由は見出し難いと考えるのが相当である。なお、訴訟における当事者のいわゆる武器対等の精神に反するとの点については、本件嘱託が捜査中になされたものであることを考えると、もともと捜査段階においては、捜査の性質上、ある程度の武器の不平等はやむをえないものとして是認されているところであり、本件において、たまたま検察官が米国の刑事免責制度を利用し得たからといつて、前記結論を左右するものではない。

したがつて、わが刑訴法の趣旨に適合しないものではないし、ひいては、弁護人所論のように憲法三一条に違反するものでもない。

三  任意性に疑いがあり証拠能力がないとの主張について

(一)  弁護人らは、コーチヤン、クラツターらの本件証言は、これらの者に不起訴の約束をして得られたものであり、いわゆる起訴猶予の約束による自白に証拠能力を否定した最高裁判所第二小法廷・昭和四一年七月一日判決(刑集二〇巻六号五三七頁)の趣旨に照らし証拠能力を有しないと主張している。

しかし、最高裁判所の右判決は、「被疑者が起訴、不起訴の決定権をもつ検察官の、自白をすれば起訴猶予にする旨の言葉を信じ、起訴猶予になることを期待してした自白は、任意性に疑いがあるものとして、証拠能力を欠くものと解するのが相当である。」と判示している事例である。右の事例においては、供述をする時点において、記憶どおり供述しさえすれば、その供述内容の如何にかかわりなく、起訴猶予になることが、あらかじめ確定的になつているというのではなく、起訴猶予になるかどうかは供述内容の如何にかかつており、その供述内容が取調べを担当する検察官の意に沿うものであつたときは、起訴猶予を期待できるが、そうでないときには確実にそれを期待することはできないかも知れないという心理的強制のもとにおいて自白がなされたという場合にかかるものであり、その場合には虚偽の供述を誘発する危険性が高いと考えられるとともに、取調官がそのような不安定な心理的強制を加えて被疑者に供述を求めることに強い不公正感を懐かせる点があり、このことが任意性に疑いがあるとの判断をする根拠になつているものと考えられる。

これに対し、本件嘱託証人尋問手続においては、証人らは、いずれも宣誓のうえそれぞれの記憶どおりの供述を求められたものであり、その供述内容が尋問を求める側の期待する内容であつてもなくても、その供述内容につき免責を受けることに変りはなく、しかも、そのことは供述前確定的となつていたのである。したがつて、捜査官が取調段階で不起訴の約束をする場合に予想されるような虚偽誘発の蓋然性や、被疑者の心理的自由を侵害するという側面は存しないものと考えられる。

さらに又、本件証人尋問は、前記のとおり、公正な第三者を手続の主宰者として置き、そのもとで宣誓のうえ、証人らの弁護士の立会補助を認め、公正に進められたのであり、虚偽混入の蓋然性の面でも、心理強制の違法性の面でも、取調室における捜査官の取調の場合に関する前記最高裁判決の事例とは全く事案が異つている。その他、右事案にあらわれている具体的事情を総合考慮すると、右事例に対する最高裁判所の前記判旨をそのまゝ本件尋問手続にあてはめ、任意性に疑いがあるとすることはできないと考えられる。

(二)  弁護人らはまた、本件証言は、わが国検察官が米国司法機関に対し前記宣明をもつて、「トランザクシヨナル・イミユニテイ」である旨、本来わが国の刑事訴訟法においてはなしえない刑事免責をあたかもなしうるがごとく言明し、日本法の知識、理解に乏しい米国内の本件嘱託尋問手続関係者をその旨誤信させて、得られたものであり、したがつて、偽計に類する行為により得られた自白というべきであるから、最高裁判所大法廷・昭和四五年一一月二五日判決(刑集二四巻一二号一六七〇頁)の趣旨に反して任意性に疑いがあり、証拠能力がないとも主張するが、前記各宣明の法的性質及びこれを発するに至つた経過等については、すでに検討して説示したとおりであり、これをもつてわが国検察官の偽計ないしこれに類する行為と評価することはできないのであるから、所論はその前提を欠いて理由がない。

以上述べたところによると、本件各証言調書につき、その任意性に疑いがあるとし、あるいはこれをめぐる違法手続があつて証拠能力を否定されるべき場合であるということはできない。

第三本件嘱託証人尋問調書が刑訴法三二一条一項一号に該るという主張について

一  検察官は、本件嘱託証人尋問調書の証拠能力につき、第一次的には刑訴法三二一条一項一号所定の裁判官面前調書に該り、少なくともこれに準ずるものとして同号による証拠能力を肯定すべきであると主張し、その理由として、本件証人尋問は、外国の裁判官の資格を有する執行官の面前でなされたとの一事を除けば、

〈1〉  証人尋問はこれを嘱託したわが国裁判官の証人尋問権に基づいて同裁判官のため行なわれ、

〈2〉  その尋問手続も、公正な第三者の立場にある執行官が、証人に宣誓させ、偽証罪の制裁、証言拒絶権の告知をするなどしたうえで行なつたもので、わが国裁判官の面前でなされる証人尋問と全く同質のものと考えられるうえ、

〈3〉  本件証人尋問手続を執行官として主宰したケネス・N・チヤンントリーは、米国カリフオルニア州で裁判を行なう資格を有し、その資格、権限及び本件における立場等について、わが国裁判官にほぼ匹敵するものであり、

こうした諸点を勘案すれば、本件尋問調書は、裁判官面前調書と同等の信用性の情況的保障のもとに作成されたものと認められるので、裁判官面前調書に関する前記法案に該ると考えられるか又は同号を合理的に類推適用し、これに準ずるものとして取扱うのが相当であるというのである。

二  ところで、検察官提出の本件証人尋問調書作成経過に関する報告書その他の関係資料によると、本件嘱託尋問の経過は、

1  昭和五一年五月二二日東京地方検察庁検察官から刑訴法二二六条に基づく証人尋問の請求及びその尋問嘱託の申立を受けた東京地方裁判所裁判官が、即日、請求にかかる証人の尋問嘱託をすることとしたところに従い、その嘱託書が同月二八日、米国カリフオルニア州中央地区連邦地区地方検察庁検事正から同地区連邦地方裁判所に提出され、尋問が実施されることになつたこと、

2  尋問の嘱託を受けた同裁判所所長アルバート・L・スチーブンス判事は、同日、合衆国法典二八編一七八二条に規定された権限に基づき、前記チヤントリーを執行官に指名してその件に関する一切の手続を主宰させることとし、あわせて同国司法省特別検事ロバート・G・クラーク及び連邦検事キヤロライン・M・レイノルズを副執行官に指名し、両名には証人に対する質問やその他の必要な手続等を行なわせることを命じたこと、

3  そこで、チヤントリーは、執行官の立場において本件証人尋問手続を主宰し、尋問にあたつては証人に宣誓をさせ、偽証罪の制裁や証言拒否権の告知をし、尋問に際しては当事者の異議を裁定するなど、必要な訴訟指揮をしながら尋問手続を進めて証言を得たもので、本件尋問調書はこうして作成されたうえ東京地方裁判所裁判官へ送付され、同裁判官から更に東京地方検察庁検察官に送付されたこと、

4  チヤントリーは、一九六九年カリフオルニア州裁判所裁判官を退いたいわゆる退任裁判官であり、退任によつて、その後は司法行政を行なう権限及び裁判を行う義務はなくなつたが、同州においては、州憲法六条六項により、退任裁判官の同意があるときは州最高裁判所長官の指名によつて、個々的な事件の裁判をする権限が与えられるものとされており、同様の扱いは連邦裁判所についても一定範囲で存在し、とくに同州に特有のことではないこと等の諸事実を認めることができる。

三  そこで、検察官の前記主張について考えるのに、

(一)  本件嘱託証人尋問は、いかにわが国裁判官からの嘱託に基づき、同裁判官のために行なわれたとはいつても、前記執行官の立場にあつたチヤントリーの主宰のもとに行なわれたことに変りはないところ、刑訴法三二一条一項一号に所定の「裁判官」とは日本国憲法およびこれに基づく裁判所法、裁判官弾効法その他の組織法にいう裁判官と同様に、わが国の裁判官が国権の一部である司法権をその職務上の地位に基づいて行使している場合の裁判官を指しており、外国の裁判官を含めて考えることのできないことは法体系上も文理上も明白であるから、チヤントリーの主宰にかかる本件尋問調書を刑訴法三二一条一項一号所定の「裁判官」面前調書に該るとすることはできない。

(二)  それでは同条一項一号に直接は該当しない尋問調書であつても、これに準ずるような事情のある特定のものについて、その調書作成のもとになつた尋問手続の実態が裁判官面前調書の場合に匹敵するほどの高度の信用性があるというような実質的理由をあげて、個々的に同号の類推適用をし、裁判官面前調書に準じて証拠能力の緩和をはかるという解釈の余地があるか。

(1) いうまでもなく刑訴法三二一条一項一号は伝聞禁止の証拠原則に対する例外を定めたものであるが、同号が裁判官面前調書についてとくに証拠能力の要件を緩和したのは、わが国の組織法その他の関係法規上、その資格要件、権限行使の手続などを厳格に定められている裁判官が、そのような裁判官としての地位に基づいて職務上の権限を行使し、所定の手続に従つて証人の尋問等を行なう場合については、仮に反対尋問権者の立会がなかつた場合であつても、その反対尋問権の保障にかわりうる高度の信用性を認めたからにほかならないと考えられるのであり、その趣旨に鑑みると、証人に対する尋問手続を主宰した者が右のとおりわが国の裁判官であるか否かは同号適用上決定的に重要な意味を有していると考えざるを得ず、この点を緩和して類推解釈をすることは極めて受け容れ難い解釈と考えられる。

(2) 検察官は、右のような解釈を同号の「裁判官」という文理にこだわりすぎたもので合理的でないという。しかし、同号が伝聞禁止の証拠原則に対する例外規定であるという性質や、刑訴法がそのような伝聞禁止に対する例外規定をもうけるにあたり、裁判官面前調書について、検察官面前調書以下のその他の調書ととくに区別し、一段と証拠能力を緩和していることからすると「裁判官」面前という文理を軽く見ることができないことは当然である。のみならず、右は単なる文理のみに止まるものではない。すなわち同号が「裁判官」面前調書をとくに他のものから区別して信用性が高いものと考える場合、その前提のなかには、前記の理由のほか、裁判官の地位が、憲法以下のわが国における組織法秩序のもとにおいて、国民の有する公務員罷免権(憲法一五条)や、具体的には国会に設置される裁判官弾効の制度等を通じ、究極的には国民の信託ないし意思に基づいているべきこと、換言すれば、わが国民が憲法ないしその他の関連法規上、いわば自前のものとして信託し、維持しているわが国の裁判官であること、そのために維持されている国民と裁判官との一般的信頼関係を前提として、刑訴法はそのような立場にある「裁判官」面前での尋問調書なればこそ、とくにそれを高く信用すべきものとしたと考えられるのである。そうだとすると、この観点からも、同条一項一号にいう「裁判官」のなかに外国の裁判官をも含ませる解釈は到底採用し得るものではない。

(3) そもそも、一国における裁判官の地位、資格要件、権限、及びその行使にあたつての手続法規等は、国によつてまちまちである筈であり、裁判官の地位も、それに対する国民の信頼もその国その国の裁判制度や刑事手続全体の枠組みのなかにおいて初めて正当に評価されうべきものであろう。それら司法制度の違いや、これを維持している国民意識を度外視して、ある国の手続はわが国の裁判官面前における尋問手続に準じて考えうるが他の国の手続はこれに準じえないというような判断をし、そのいずれであるかによつて刑訴法三二一条一項一号の類推適用の可否を決するというようなことは適当ではないしまた可能でもない。

(三)  以上のべたところにより、当裁判所は本件尋問調書につき刑訴法三二一条一項一号に「準ずる」証拠能力というようなものも認めることはできない。

そこで次に刑訴法三二一条一項三号書面としての証拠能力につき検討する。

第四本件嘱託証人尋問調書は刑訴法三二一条一項三号に該るか

一  刑訴法三二一条一項三号本文の「供述者が国外にいるために公判準備又は公判期日において供述することができないとき」に該るか

弁護人らは、右規定の趣旨は、供述者が国外にいることだけで充足されるのではなく、可能な手段を尽くしても公判準備又は公判期日に出頭させることができない場合であることを要すると解されるとし、本件公判審理中検察官からコーチヤン、クラツター両名に対してなした証人出廷意思についての照会に対し、同人らから「現時点では、出頭する意思はない。」旨の回答があつたというだけでは不十分であり、さらに裁判所から召喚状を発して確認するなどの方法をとつて出頭要請の努力をすることが必要であると主張している。そこで、検討するに、

(一)  右規定において「供述者が国外にいるため」云々との点は、そのため「公判準備又は公判期日において供述することができない」ことの例示として掲げられた趣旨であり、規定の重点は公判準備又は公判期日において供述することができるか否かの点にあると考えられるから、供述者が国外にいる場合であつても、そのことが公判期日等における供述を不能ならしめる意味をもつていないと考えられる場合、たとえば商用による一時的な出国の場合、国外にいるけれども一時帰国のうえ公判期日への出頭や供述を容易に求めることができる見込みのある場合(本件で取調済の証人副島勲などはこれにあたる。)、外国居住の外国人であつても任意わが国に入国のうえ公判期日等において供述を求める見込みのある場合などにおいては、それらの者が国外にいるというだけでそれらの者の調書が直ちに同号の前記要件を具備するということはできない。しかし右のような特別の事情がない多くの場合については、供述者が国外にいる以上、それらの者に対して裁判権を及ぼすことができず、したがつてわが国の裁判所といえども有効な出頭確保の手段を講じ供述を求めるための手続を行なうことができないのであるから、出頭確保について全く手がかりのないそれらの場合には、原則として、公判期日等において供述を得ることができない場合に該るものと考えて差支えないであろう。その点に異論をさしはさむものであつても、少なくとも検察官が同号による書面を証拠として申請する場合、これに近接した時期において、供述者が公判期日に出頭する意思のないことを明示的に表示している場合が同号の「供述することができないとき」に該ることについては全く異論はないと思われる。そして、右のような供述者の意思が、たとえば、代理人である弁護士と協議をしたうえ、これを通じてなされるなど明確な態度表明とみられるときには、それが、その者に対して裁判権を直接及ぼすことのできない裁判所からの証人召喚状に対する回答としてなされたものではなく、たとえば、供述に代る調書を申請する当事者が右申請行為の準備としてあらかじめ右の点を供述者に照会したのに対する回答としてなされたものであつても、その照会確認の経過に疑問をいれる余地が存しないかぎり、それで足りるものと考えられる。

(二)  ところで、コーチヤン、クラツター両名の右の点に関する意思は、さきに嘱託尋問前の時点で東京地方検察庁検察官がした米国内における事情聴取の申入れさえ拒絶したことから容易に推測できるところであるが、その点についてはその後嘱託尋問において供述するという事情変更の経過を経たこともあり再確認を要する点と考えられる。しかしその後昭和五二年一二月東京地方検察庁検察官からの書面で、公判裁判所から証人として出頭要請があつた場合に出廷して証言する意思があるか否かを照会されたのに対し、右両名は、同五三年一月、その表現は同じでないけれども、いずれも出頭を拒否する旨回答した。そしてその回答書の文面からみて、近い将来出頭するとの意思は全く読みとることができず、その手がかりすら発見できないだけでなく、右事情における同人らの立場ないし利害関係、わが国の捜査官との接触に対する応答経過などをにらみ合わせてみると、実質的には終始変らぬ出頭拒否の態度と受けとめざるを得ない。そうだとすると、同人らについては、同人らが「国外にいるため」わが国の裁判所での公判期日等において供述を求めることができない場合にあたることは明白と考えざるを得ない。

二  刑訴法三二一条一項三号本文の「その供述が犯罪事実の存否の証明に欠くことができないものであるとき」に該るか

右にいわゆる不可欠性の範囲につき、弁護人らは、犯罪事実の内容をなすものであつて厳格な証明の対象となる事実の存否の証明に必要なものに限られ、さらに他の証拠によつて目的を達しえないものをさすとしたうえで、コーチヤン、クラツターらの本件尋問調書の内容は、これがなければ被告人らに対する公訴事実の存否の判断をする目的を達しえないというものではなく、右不可欠性の要件をみたしていないと主張している。

(一)  しかし、右同号にいう「犯罪事実」の存否の証明に「欠くことができない」とは、まずそれが犯罪事実の内容をなしている場合を含むことはもちろんとして、そうでない場合であつてもそれが犯罪事実の存否について密接で重要な関連性を有し、いわば事件の基本的な枠組を構成する事実の認定について実質的な勢いをもつ間接事実の立証に必要ある場合をも含んでいるものと考えられる。たとえば、犯罪事実の内容の一部をなしていなくても、それを生み出すうえで直接の関連をもつ前提的、あるいは経緯的事実、犯罪事実の部分的な各行為に直結し、その存否を反映すると思われる事後的徴憑的事実などをも含むと考えざるを得ない。いまこれを「欠くことができない」ということとのかねあいで抽象的、定義的に表現しようとすれば、措辞の上で広狭の差を生じるかの如く見えるであろうが、最終的には右の定義的な表現ないし枠づけだけでは決することのできない場合が多く、やはり犯罪事実の立証にあたつての関連性の強弱、事実の重要な幹の部分に直結するか枝葉の部分に関連するだけであるか、あるいは当該調書の中での供述者が同様の立証事項に関連を有する諸々の関係者の中で占める経験ないし記憶の直接性、重要さ、確かさの程度その他、要するに当該証拠の立証趣旨となつている事項が事件全体の争点や証拠調の必要性のなかでどのような位置を占めているか、また証拠としての性質、重要性などを裁判所が総合的に判断し、当該事件の解明に実質的に大きく役立つと考えられるか否かを中心的な基準として決するものといえる。したがつて同一の立証事項について数個の証拠方法があり、他の証拠によつても目的を達しえないではないように思われる場合であつても、これらの証拠の信憑性を左右し、あるいはより以上直接に決定的、効果的であつて解明に役立つ証拠と考えられるものがあるときには、これを右にいう「欠くことができない」ものと考えて差支えない。

(二)  この点を具体的に本件調書について考える。

検察官の冒頭陳述書、本件証人尋問調書の立証趣旨に関する陳述書、とりわけ昭和五三年一一月六日付証拠調請求補正書などによると、コーチヤン、クラツターらは、全日空がその後購入し運航することとなつた航空機L一〇一一型機についての日本における売込活動をロツキード社内のそれぞれのレベルにおける責任者として推進していたとされているものであり、

(1) (被告人)若狭らと、右航空機導入やその運航に関する被告人橋本、同佐藤らを含む政府高官、国会議員らとの間の贈収賄罪の関係では、コーチヤンは右航空機売込の直接の窓口であつた丸紅株式会社の大久保らを通じ、最終的に導入機種決定のため必要であるとして裏資金の調達を要請され、承諾のうえクラツターに命じて交付させた資金が前記犯行に使用されたという関係にあるとされているのであるから、右資金調達を要請された時点で考えられていた趣旨、その金額や交付先について、右大久保の説明を受けて理解、認識した内容、その結果この要請を応諾し高額の資金を調達ないし捻出して交付するに至つた経緯と状況、右裏資金要求の主体についての同人らの理解等に関する供述は、その内容からみて、前記犯罪事実(たとえば交付された金員の趣旨、交付の主体など)の存否に関し直接的な重要性をもち、そのため本件証人尋問調書によつて初めて立証しうる点を含むだけでなく、これらの点に関する国内証拠たとえば大久保らの証言あるいは関係被告人らの弁明内容と詳細に対照検討することにより、初めて事実の存否を決することにならざるを得ないことは容易に推測されるところである。

(2) また、被告人若狭などの本件全日空関係の各被告人らにかかる外為法違反罪及び被告人渡辺らのいわゆる議院証言法違反の罪等の関係においては、前記両証人は、犯罪事実にかかる金員の直接的な授受交渉ないし金員授受の当事者という立場にあり、全日空の関係者から直接又は人を介して間接に右金員の支払いを請求された経緯、金員の趣旨について説明を受けた内容と同人らの理解、支払いの方法についての相手方からの希望の有無、さらには具体的な支払や資金調達の方法、右支払要求をした全日空関係者ら関与者の範囲についての同人らの認識とその根拠などについての同人らの供述は、右(1)において贈収賄罪の関係で述べたところ以上に犯罪事実の存否、関与者らの確定にとつて、直接的で密接、重要な関係を有しているものと考えられる。

そして同人らの理解内容を示す証拠としては、本件嘱託にかかる証人尋問調書以外に存しないのであるから、前述したような不可欠性の基準に照らし、これらの供述内容が本件争点の判断に関し有している前記のような重要性のほか証人らがロツキード社の代表者ないし直接担当者として本件の交渉経過の中で占めていた地位の重要性など、証拠方法としての適性などをも総合考慮すると、本件証言調書が前記不可欠性の要件を充たしているものと認めるに十分である。なお、右コーチヤン、クラツター両名の供述は、前述した高額の資金調達という同じ事案の流れに関与したとされ、その限りで重複するかの如く見えながらも、その関与の内容はコーチヤンが主として資金調達等の要請を受けてこれに対する諾否の判断等ロツキード社幹部としての決定をして資金の交付をクラツターに指示し、指示をうけた同人が最終的に資金を調達して直接的な交付行為をするというように、それぞれの役割を分担しており、両者が共同し全体として前記の行為をしたものと主張されているのであるから、右両名に対する本件尋問調書についてはそれぞれ前記不可欠性の要件を備えているものということができる。

三  刑訴法三二一条一項三号但書の「その供述が特に信用すべき情況の下にされた」との要件を具備しているかどうかについて

右の点に関し、弁護人らは、本件尋問調書にいわゆる特信性がないとし、その理由を種々述べるが、とりわけ、〈1〉特信性の要件は性質上厳格に解釈すべきものであること、〈2〉ところが、本件尋問手続はあらかじめ用意された数百項目にわたる尋問事項書に基づいて逐一尋問するにあたり、わが国の検察官が立会い、被疑者らの弁護人の立会を認めずに一方的に進められた手続であり、〈3〉本件の報道により騒然たる渦中にある証人らに対し、米国人に対する米国内での手続であるがゆえに、わが国法制上は認められていない刑事免責を認めてなされた事情があり、〈4〉証人らは将来、法廷に証人として出頭し、反対尋問を受ける意思を欠いたまま供述している点を強調し、それゆえ、本件尋問調書には右の特信性を認めることができないと主張している。

(一)  ところで、右但書にいう特信性とは、抽象的にいえば、証人が誠実に記憶を想起し、あるがままに供述することに努め、虚言の混入のないことを、尋問及び供述をとりまく周囲の状況のうえから高度に信用することができる情況を指しているものとでもいうことができるであろうが、終局的には、問題となつている調書につき、その作成経過、証人と供述内容との利害関係、尋問方法についての法律上ないし事実上の形式、供述者のこれに応じる態度等を総合評価して個々的に決するほかはないものと考えられる。当裁判所はそのような観点から総合考慮し、本件各尋問調書は右の特信性を備えているものと結論したが、その主たる理由は次のとおりである。

(1) わが国訴訟の実際においてみられる刑訴法三二一条一項三号書面は、司法警察職員に対する供述調書の如く捜査官が供述者を一方的に尋問するかたちで供述を得て作成されるものが多いが、米国における本件証人尋問の手続は、すでに述べたとおり、尋問する者とこれを受ける証人との間に公平な第三者を置いて、これに手続を主宰させ、その裁定のもとに供述を得るという方法で行なわれている。すなわち、カリフオルニア州で退任判事の地位を有する前記チヤントリーが執行官として、いわば公平な第三者的立場で同国内の手続法に則つてこれを主宰し、副執行官に主として尋問を行なわせると共に、尋問を受ける証人にはその代理人たる弁護士を立会いさせて補助を可能にし、尋問によつて代理人からの異議申立がされると、これに執行官が第三者的な立場から裁定をするという、事実上は、いわば訴訟の原型を保つた方式による尋問、応答の結果を録取したのが本件調書であること、

(2) 尋問にあたつては、供述者に証人として正規の宣誓をさせ偽証の制裁があることを告知したうえで証人尋問が行なわれており、供述を求めるにあたり、あらかじめ、証人の供述した内容について上述の刑事免責を与えることが告げられていたとしても、だからといつて捜査官による取調の場合のように免責を与えてくれた者に直ちに迎合できるという手続となつておらず、そのような迎合的態度で虚偽の供述をすると偽証として処罰されるおそれがあるという、いわば歯止めのかかつた手続であること、

(3) 証人となつたコーチヤン、クラツターらは、証人として尋問を受ける前ロツキード社の航空機売込活動を通じ日本におけるその得意先とでもいうべき全日空関係の被告人らと懇意な関係にあり、また、右証言の影響が直接これらの者の刑責に波及すること、したがつて、不当な供述をすれば直ちに反論される関係にあることを熟知していたのであるから、免責を与えられたうえでの証言とはいつても、経済的利害でつながつているこれらの者に対しことさら虚偽をねつ造してまで不利益な証言をするべき動機は見当らない。本件尋問に際しての免責というのは、捜査官による取調の場合のように、どの程度相手に不利益な供述をするか、その供述内容を事後的に検討したうえ、内容に応じて裁量的に免責すること、すなわち、免責するかどうかをあらためて考えるというのではなく、どのような供述であれ、その内容について免責するとの意思は供述を求める時点ですでに確定的である旨伝達されたものであることは、すでにみたとおりであつて、証人にとつてはそのためにことさらに迎合的な供述をねつ造して供述する理由に乏しい手続であること、

(4) 尋問に対しては、しばしば証人の代理人である弁護士から異議が申し立てられ、不当な尋問方法による供述の不正確さや歪曲の防止が図られると共に、証人自身不必要に迎合的証言をし、自らを偽証の危険にさらす無謀さが回避されているように見え、弁護士の立会いのないわが国捜査官の取調手続に比べてみれば、はるかに供述の信用性を高める情況になつていると考えられること、

(5) 証人らに対する尋問とこれに対する応答は、証拠書類、証拠物など客観的な資料を多く利用し、これによつて記憶の根拠を確かめながら正確に供述するように配慮されて進められており、また証人らの供述態度においても、記憶が実際に存する事項、推測にわたる事項、全く記憶にない事項などをできるだけ確認しながら供述しようとの意識が窺われ、もとより両証人を対比すると、程度の差は存するようであるけれども、とくにコーチヤンについては全体として誠実な供述態度が顕著に窺われること、

(6) 本件調書は速記者により一問一答の形式で録取されていて、わが国捜査官に対する供述調書のように取調官側の主観の混入する危険が少なく、かつ、尋問終了後これを録取した速記録を証人らが自ら閲読し、訂正を要する個所については所要の訂正をし、最終的には正確性を承認したものであること、

等の諸点が認められ、これらの諸事情を考慮すると、尋問手続の全体的情況は、わが国の訴訟においてみられる通常の三号書面に比べれば、はるかに高度の信用性を保障しているものと認めることができるのであり、前記の特信性の要件を備えているものと認めることができる。

(二)  弁護人らの主張のなかには右の証人らは供述当時、将来、わが国の法廷において反対尋問に応じる意思を欠いており、したがつて、無責任な証言をするおそれが存することを否定できず、そのような供述は類型的に信用性が低いと考えるべきであるとの主張をする部分がある。そのような傾向は、後日、反対尋問にさらされるかも知れないとの覚悟で供述する場合に比べれば、必ずしもないとは言えないであろう。しかし、本件における尋問手続は、前記のとおり、偽証の制裁のもとに行なわれていて、無責任に不確かな供述をしたことがその後の日本側の関係者の反論等によつて判明したときは、自らが偽証として訴追、処罰される危険をかかえこむこととなることを十分予測している等の情況にあるうえ、前に列挙したような本件尋問の諸情況からみて、証言内容につき特信性を失わせ、あるいはこれに疑念を抱かせるような点は窺知されない。

(三)  このようにみてくると、本件証人尋問調書はいずれも刑事訴訟法三二一条一項三号但書の特信性の要件を備えていると判断される。

もとより、右の判断は証拠能力の存否に関する限りでの判断であり、いわば本調書が一応証拠として取調べられ、他の証拠と対比検討してみるだけの価値ないし性質をそなえていることを肯定しただけであつて、そのような検討をした結果、これを他の証拠よりも信用できるものとするか否かとは別の問題であることはいうまでもない。

第五結論と結び

以上の理由により、本件各証人尋問調書(関係副証を含む。)の請求については、刑訴法三二一条一項三号により主文第一項記載のとおりこれを証拠として採用し、その余の部分は、検察官の主張する立証趣旨との関係で、その一部は関連性ないし必要性に乏しく、一部は明らかに伝聞にわたる供述であり、また一部は検察官の主張する立証趣旨と関係被告人との関係で同号所定の不可欠性に乏しいものとして却下することとしたが、右採用部分の「ある頁からある頁まで」という部分の内容の中には、各巻の冒頭部分あるいは末尾部分の純手続的な記載(関係者の列席、証人の宣誓、尋問の開始、終了時刻、証人の署名等)のみのものもあり、また、あるものは、立証趣旨と直接には関連のない事項に関する供述の記載部分を含むものもあるが、前者は当該尋問(調書)の手続的真正を担保するため、後者は、検察官が不可欠部分として釈明した事項(前記昭和五三年一一月六日付証拠請求補正書参照)に関する各証人らの供述記載部分の趣旨を理解するうえに必要な部分と考え、これを全体として採用したものであり、立証趣旨と直接関連のない事項そのものに関する証拠方法として採用したものではない。

また、副証については、採用した証言部分の内容の一部をなすか、又はその趣旨を明確にするために必用なものとして、これを一体として採用したものである。

(なお、最後に、裁判長において付言するに、本決定の理論的な検討と構成については、当職並びに裁判官秋山規雄及び同松本信弘をもつて合議体を構成していた当時、すでに評議を重ねて一応の結論をえていたものであるが、冒頭に述べたように国内証拠による検察官の立証の推移を見究めているうちに、本年四月、裁判官秋山規雄は裁判官谷鐵雄と交替して現在の当裁判所を構成するに至つたため、右一応の結論を基礎としながらも更に新たな評議を重ねて本決定をみるに至つたものである。)

よつて、主文のとおり決定する。

(裁判官 金隆史 谷鐵雄 松本信弘)

別表

採用部分一覧表

番号

証人尋問調書

(検察官請求番号)

採用部分(頁数は原本の頁数)

関係被告人

1

コーチャンに対する証人尋問調書第一巻

(甲一312)

全部

全員

副証一三、一四

右同

2

同 第二巻

(甲一313)

冒頭から三七頁二二行まで

右同

六七頁一七行から同頁二四行まで

橋本、佐藤、若狭、渡辺、藤原

九九頁一行から同頁一四行まで

全員

一〇三頁九行から一〇九頁六行まで

右同

一六〇頁二一行から一八一頁五行まで

橋本、佐藤、若狭、渡辺、藤原

一八一頁六行から末尾まで

全員

副証一五、一六

橋本、佐藤、若狭、渡辺、藤原

3

同 第三巻

(甲一314)

冒頭から一八三頁一八行まで

全員

一八九頁一二行から一九一頁一八行まで

右同

二一五頁一〇行から二三一頁二一行まで

橋本、佐藤、若狭、渡辺、藤原

二七六頁三行から同頁一七行まで

右同

二八四頁一七行から三〇九頁六行まで

若狭、藤原

三三五頁一九行から同頁二四行まで

橋本、佐藤、若狭、渡辺、藤原

三三五頁二五行から末尾まで

全員

副証一七ないし二一

橋本、佐藤、若狭、渡辺、藤原

4

同 第四巻

(甲一315)

冒頭から三三八頁一八行まで

全員

三五五頁一三行から三六一頁一三行まで

若狭、藤原

三六一頁一四行から三七三頁六行まで

若狭、渡辺、沢、植木、青木

三七三頁八行から四〇六頁三行まで

全員

四二三頁二行から末尾まで

右同

副証二五ないし三一

右同

同 三八、三九

若狭、渡辺、沢、植木、青木

5

同 第五巻

(甲一316)

冒頭から四三〇頁二二行まで

橋本、佐藤、若狭、渡辺、藤原

五一四頁一一行から五二〇頁一六行まで

右同

五五〇頁四行から五五六頁一六行まで

若狭、藤原

五五六頁一七行から末尾まで

橋本、佐藤、若狭、渡辺、藤原

6

クラッターに対する証人尋問調書第三巻

(甲一317)

冒頭から六〇頁八行まで

全員

六〇頁九行から六九頁一二行まで

橋本、佐藤、若狭、渡辺、藤原

六九頁一三行から末尾まで

全員

副証二七、二七AないしC

橋本、佐藤、若狭、渡辺、藤原

7

同 第四巻

(甲一318)

冒頭から二〇二頁一二行まで

右同

二三二頁二〇行から二三六頁二一行まで

右同

二三九頁一六行から二四〇頁一〇行まで

若狭、藤原

二五五頁二一行から二七四頁八行まで

右同

三〇六頁二一行から末尾まで

橋本、佐藤、若狭、渡辺、藤原

副証二、三、二七D、二七E、二八

右同

8

同 第五巻

(甲一319)

冒頭から三一〇頁二行まで

右同

三一四頁二行から三五四頁一二行まで

右同

三六二頁七行から三七一頁一八行まで

右同

三七六頁一行から三八〇頁七行まで

右同

四四九頁一三行から末尾まで

右同

9

同 第七巻

(甲一320)

冒頭から五八二頁一〇行まで

橋本、佐藤、若狭、渡辺、沢、植木、青木

六〇九頁一行から六一七頁三行まで

右同

六三五頁二四行から末尾まで

右同

副証四二

右同

同四六、五二

若狭、渡辺、沢、植木、青木

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